阪神淡路大震災の発生から、17日で31年になりました。兵庫県内の各地で追悼の催しがあり、発生時刻の午前5時46分に合わせ、参加者のみなさんが黙祷を捧げられました。
令和8年1月18日朝日新聞(日刊)14版より
以下に、昨年度の1月17日ホームぺージブログを再掲します。
「私と都跡中学生の阪神淡路大震災」
30年前の今日、1995年1月17日の早朝5時46分に起きた地震によって飛び起きた時のことを今でも覚えています。慌ててテレビで確認しても状況が遠くからの中継で、煙が上がっている程度でした。初めは震度6(震度7に訂正)の兵庫県南部地震で、奈良市は震度4と説明されていました。それから徐々に被害の状況がテレビ中継され、被害の甚大さに驚きました。多くの命が失われ、大きな被害をもたらしました震災は「阪神・淡路大震災」と名付けられました。
写真は西宮市ホームページより許可を頂き、転載させてもらっております。
★私と都跡中生の阪神淡路大震災 (私編)
震災被害で苦しんでおられる人々の様子をテレビで見て、何とかしなければと思い地震発生の5日後の1月21日(土)の早朝にボランティアとして神戸に向いました。その時の記憶は鮮明に残っています。新聞やテレビではない「私が見た阪神・淡路大震災」をみなさんに伝えたいと思います。
阪神梅田駅から西宮北口駅に向かう電車の中から見えた一階部分が倒壊したマンション。テレビでも被害状況を報道されていました。
西宮北口駅の大きく曲がりくねった線路。この光景を目の当たりにした時は立ちすくみました。
避難所としての西宮北市役所。市役所に到着すると、市役所内は多くの被災者の方々が避難生活を送っておられました。 この写真は近くの体育館での様子です。
次々と並ぶボランティア受付の様子。当時は、名前と住所、連絡先を書くだけの簡単な手続きでした。
当時の若者は「新(真)人類」と呼ばれ、「忍耐力がない」「甘えている」「常識が通じない」と揶揄(やゆ)されていました。しかし、多くの高校生や大学生たちが被災地でボランティア活動に参加し、困難な状況にある人々を支えました。あの時、学生たちと共に活動したことは今でも脳裏に焼き付いています。ボランティア活動は夜遅くまで続きました。
★私と都跡中生の阪神淡路大震災(都跡中生編)
この震災をきっかけに、災害時のボランティア活動の重要性が広く認識されるようになりました。全国から多くの人々が被災地に駆けつけ、被災者を励まし、助け合う姿は「共助」の力を象徴していました。同時に、命の大切さを改めて感じさせられる出来事でもありました。一人ひとりが自分や家族の生命を守るために何をすべきかを考えるきっかけとなりました。災害時には、自分で身を守る「自助」の行動がまず必要です。そして、その上で地域や周りの人々と助け合う「共助」の力が、災害を乗り越えるために欠かせません。
第二回避難訓練の様子
この経験を忘れず、私たちは防災意識を高め、日常から備えることが重要です。学校でも防災教育を通じて、災害に強い地域社会を築いていく必要があります。






















